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2004年10月の日記

バガトさんの歓迎式
 先日、日本を訪問したバガトさんの友人や知人が近くの寺院に集まって、歓迎式が行われました。
 日本の人がインドや諸外国を訪れることはさほど難しくなくなりましたが、一般的なインドの人にとって日本など外国に行くことは、少し前まで困難極まりないことでした。
 バガトさんにとって、今回の日本訪問は夢にも思わなかったことでした。彼の友人や知人にとっても、自分達の代表者が日本訪問を成し遂げたような気分なのです。
友人たちからもらった花輪に囲まれたバガト夫妻
2004年10月29日(金)  No.48

大豆の不作
 禅定林関係者およびパンニャ・メッタ子供の家関係者50人の食事は、天台仏教青年連盟に購入支援していただいた子供の家近辺の22エーカー(26,400坪)の農地で、米・麦・大豆・唐辛子等を作り、自給自足しています。

 今は7月に植えた大豆が今収穫時期です。例年5トンほど収穫できるのですが、今年は水不足のために3トン位しか収穫できませんでした。
2004年10月28日(木)  No.46

智恵山正門完成
 半年ほど前に、2ヶ月で完成するだろうと始めた智恵山正門の工事でしたが、
ようやく22日に完成しました。
 なぜこんなに遅れたかというと、正門を作ったドンガルガルが田舎だということと、門が高かったのが主な原因です。
 先ずは足場を組むのに時間を取られ、セメントの仕事が終わってペンキを塗る段になって、「ある」と地元のペンキ屋さんが言い張っていたペンキはなく、結局ナグプールのペンキ屋さんに取り寄せてもらいました。また、「智恵山」と書かれた大理石を貼り付けるのにドリルがなく、これまたナグプールから取り寄せました。日本なら個人の家にあるような物でも、一々200キロも離れたナグプールまで調達に行かなければなりませんでした。
 このようにアクシデントは色々ありましたが、ようやく念願の正門が完成しました。行きかう人も「参道らしくなった」と喜んでいます。
 日本語の「智恵山」の字は、堀澤祖門大僧正の書。左はヒンディ語で「プラジュニャギリ(智恵山)」と書かれています。
2004年10月22日(金)  No.47

会報『マハサマディ』11号発行
 パンニャ・メッタ・サンガ発行の会報『マハサマディ』11号が、10月20日に発行されました。

 例年、改宗記念日を記念して多くの会報・雑誌が発行されますが、他の会報ではお釈迦様の歴史やアンベドカル博士の活動の歴史しか掲載されません。
 しかし、『マハサマディ』は、釈尊やアンベドカル博士の思想・思いを基盤にしたパンニャ・メッタ・サンガの生きた活動がたくさん掲載されていて、読者にも喜ばれています。

 今号の概要は、7頁 編集記、9頁 智恵山下の寺院に住んでいる老尼のPMSに対する考え・期待(PMJ会報8号に翻訳掲載予定)、10頁 サンガ師・正力松太郎賞受賞、12〜14頁 禅定林大本堂建設の必要性と現状、14頁 作文コンテスト審査員の声、15〜24頁 作文コンテスト入賞者の作文、25〜27頁 仏教聖地智恵山、28〜31頁 仏法のともしび智恵山、32〜33頁 智恵山に思う、34頁 サンガ師がしめした道、35〜38頁 青少年研修会に参加して。アンベドカル博士の夢をかなえるパンニャ・メッタ・サンガ、40〜41頁 PMSの活動、42頁 スラム街でのパンニャ・メッタ学園の働き、43〜45頁 年間の動き、46〜47頁 サンガ師による中部マハラシュトラ州における仏教の再生、48〜49頁 禅定林宗教活動の起点、50〜52頁 禅定林で過ごした3年、53〜56頁 私の日本訪問、です。
2004年10月20日(水)  No.45

作文入賞の感想
 作文コンクールで2位に入賞したニシカント氏が、入賞の気持ちを書いてくれました。
 彼は現在ナグプール大学法学部の最終学年である5回生です。12月に試験があり、その後は2月6日の智恵山および8日の禅定林大本堂地鎮式のお手伝いをしたいと言ってくれています。

「数年前からパンニャ・メッタ・サンガが行っている作文コンクールに参加している友人から、今年もコンクールが行われ、題が『インド文化に仏教が与えた影響』だと知り、参加することによって仏教そのものとインド文化について学ぶことができると思って参加を決めました。
 学習するにつれ、今は他の宗教の教えのように思われている思想の多くが仏教を起点にしていることを知りました。一時期には、インドの大半が仏教思想で成り立っていたことを歴史や考古学、遺跡が証明しています。
 現在では、インド仏教の歴史が50年に過ぎないため、我々は本来の仏教の歴史、その思想を狭い意味でしか捉えることができなくなっています。
 1956年10月14日にアンベドカル博士の改宗によってインドに再び仏教の燈火が灯りました。その燈火が途絶えないように、大きくなるように努力したいと思います。
 我々に仏教本来の教えを思い出させてくれたという意味で、この作文の題はとても重要な意味を持つと思います。
 思いもよらなかった2位に入賞でき、表彰状や副賞をもらって大変喜んでいます。
 主催していただいたパンニャ・メッタ・サンガ関係者に深く感謝申し上げます。
ニシカント・タイデ」
2004年10月20日(水)  No.44

作文コンクールの表彰式
 作文コンクールの表彰式が、協会関係者やたくさんの方々のご出席のもとに行われました。
 優勝したのは、ナグプール大学の学生ミリンダ・ガジベイ氏、2位はニシカント・タイデ氏、3位ワサント・トゥルカル氏でした。
 審査員のカンデカル氏は、祝辞の中で、若者に意見発表の場を提供しているパンニャ・メッタ・サンガの活動が必要であることや、今までに数回審査員をしたが、年々作文の質が向上していることをおっしゃいました。
 優勝したガジベイ氏は、「今までの20数年の人生の中で、こんなに多くの人たちに祝福され、喜んだことはありません。これを機に、もっと仏教を勉強し、慈悲に満ちた歩みをしたい」と感慨深げでした。
<写真>表彰状・副賞を受けるガジベイ氏
2004年10月20日(水)  No.42

パンニャ・メッタ学園増築工事始まる


 北ナグプール、スガトナガル町にあるパンニャ・メッタ学園には、幼稚園、小学校あわせて約300人の学生が在籍していて、午前7時から12時までが幼稚園、午後12時半から5時半までが小学校と、2部制で運営されています。
 現在教室は4つありますが、それでは足らず、2クラスの授業を同じ1つの教室で行うこともあります。
 このたび、大阪茨木東ロータリークラブ、および韓国馬山南都ロータリークラブの支援により、2教室を増築する支援金をいただき、工事が始まりました。
 落成は、パンニャ・メッタ学園図書館と同じ来年2月7日の予定です。
2004年10月20日(水)  No.41

帰国の途へ
 インドの方2人と共に、インドへ帰国の途につきました。
 彼らが実際に日本の地を踏んだのは10月4日でしたが、彼らの中では私が日本行きを促した8月中頃から“日本旅行”は始まっていました。
 当初、5日の「禅定林感謝の集い」に参加した後は、広島平和公園に行ったり東京見物をしたりと、一般的な日本観光をするつもりだったようです。
 もちろん、そのような観光も頭の片隅に残ってはいるのでしょうが、13日の晩に開かれた送迎会で彼らが述べた感想には、このような観光のことは一切含まれていませんでした。
 「行く先々で多くの人たちに大変世話になり、今度彼らがインド訪問をした時に、その半分もお返しできるだろうか…」「日本の人たちは、礼儀規律正しく、親切で、町の中にはゴミ一つ落ちていない。帰国後は我々も日本で体験したことを実生活に生かしていきたい」「日本で仏教がどのように1200年も保たれたかを垣間見ることができた。僧侶になって自分は目上の人間だと考えるのではなく、喜怒哀楽を共にしたい。また、比叡山のように僧侶が修学に励んでいるからこそ、日本では仏教が保たれていることを実感した」との感想でした。
 彼らは、お世話になった方々に深く感謝していました。
 皆さん本当に有難うございました。
<写真>帰国の途に就く2人。空港にて
2004年10月14日(木)  No.40

大津市立志賀小学校訪問
 大津市立志賀小学校を訪問しました。
 今年11月26日に、同小学校の子供達と父兄の方を対象に、国際理解を高める目的と、実際に子供達自身がそれにどのようにかかわっていけばよいのかをテーマに、私が講演をしに行くことになっていて、その打ち合わせに伺いました。
 インドの方には、こういう機会でもないとなかなか日本の学校を見学することができないので、小学校の先生方に無理を言って、同行させてもらいました。
 打ち合わせの部屋がコンピューター室だったために、2人の目に真っ先に飛び込んできたのは多数のコンピューター。
 2人には入室時にそこが何の部屋かを説明したのですが、2人は何回も何回も「公立の小学校のですよね!? 小学校に、こんなにたくさんコンピューターがあるのですか!?」と聞いていました。
 パンニャ・メッタ子供の家の子供たちが通っている学校には、40人に1台しかコンピュータがないことを考えれば、度重なる彼らの質問も納得できます。
 IT王国インドは、一握りのインドの人たちの世界です。

<写真>先生方と打ち合わせをしている場面
2004年10月13日(水)  No.39

比叡山延暦寺、表敬訪問
 朝からインドの方2人と、比叡山延暦寺事務所に、森定慈芳執行、小林祖承総務部長を表敬訪問し、長時間お目にかかりました。
 その後、全山を参拝。インドの方2人は、比叡山では伝教大師以来変わることなく、1200年間の長きにわたって仏教の修学が維持継続されていることに、驚いていました。
 ナグプールを中心にした仏教徒は1956年10月14日に、ヒンドゥ教から仏教に改宗した人がほとんどで、情報が乏しく、多くの人は、“インドと同様に世界中から仏教は途絶えてしまっている”、“世界の仏教歴史は50年そこそこだ”、などと思い込んでいます。目の前に1200年の歴史が現れたことに感激と喜びでいっぱいでした。
 またこの日は、延暦寺より禅定林大本堂建立に多大なる支援金をいただきました。
 私の人生にあって比叡山延暦寺は特別な意味を持っています。混沌としたインド社会にあって、道を踏みはずすことなく僧侶の道を歩むことができているのは、日本留学中の15年間、比叡山の薫陶を受けたからに他なりません。
 その比叡山から禅定林大本堂建立に支援をいただいたことは無常の喜びです。有難うございました。

 比叡山西塔釈迦堂を参拝中、輪番である山田能裕大僧正にお出会いし、「お堂とか仏像はあちこちで拝んだだろうから、その昔、お前がこのお堂の柱につけたボールの跡をよく見せなさい」と言われ、大僧正の言葉に大笑いし、また別の意味で比叡山とのかかわりを実感しました。
<写真>釈迦堂前のインドの方
2004年10月13日(水)  No.38

天台宗務庁 表敬訪問
 9時に天台宗務庁(大津市坂本)西郊良光宗務総長、工藤秀和総務部長を表敬訪問し、日本・インドの仏教事情を初め多くの内容を話し合うことができました。
 カンデカル氏が州議員を勤めるチャッティスガル州は原住部族の多い州ですが、原住部族に伝統的に伝わる踊りの伝統的な技法の木彫りが、カンデカル氏より西郊総長に贈呈されました。

 宗務庁を後にした時に宗務総長の分刻みの日程表を見せていただきました。カンデカル氏は、「どのようにこなしておられるのか」と、しきりに不思議がっていました。

<写真>西郊宗務総長に記念品を贈呈するカンデカル州議員
2004年10月12日(火)  No.36

瑞浪消防署訪問


 一円募金を通して永年ご支援頂いている「パンニャ・メッタ東濃」を表敬訪問しました。
 インドで巡回医療に活躍している救急車を寄贈下さった瑞浪消防署を訪れ、最新の救急車と消防車やその設備を見学し、大変に関心しました。

左は、救急車内で心電図をとってもらうバガト氏と瑞浪消防署長の加納啓文氏。右は消防車の前に集合して下さった瑞浪消防署の皆さん。夜遅くにおじゃましたにも関わらずご協力下さいましてありがとうございました。
2004年10月11日(月)  No.35

勉強会と幼稚園訪問


 茨木東ロータリークラブでの調印式後、インターネットを使った双方向性会議の説明会がありました。
 スクリーンには、リアルタイムのテレビ会議が映し出され、低コストで効果的に仕事がはかどる手段として、カンデカル氏とバガト氏も興味深く見入っていました。

 その後、茨木東ロータリークラブ会長・城谷星氏のご協力で、けいあい幼稚園の視察が叶いました。
 敷地を有効に利用した施設と、教育内容の高さに関心し、元気な子ども達の歓迎を受けた一行は充実した時間を過ごさせて頂きました。
2004年10月7日(木)  No.34

茨木東ロータリークラブ調印式


 国際ロータリークラブ百周年記念事業として、大阪・茨木東と韓国・馬山南都のロータリークラブが共同で、「パンニャ・メッタ学園教室増設事業」を支援下さる運びとなりました。
 この日は茨木東RC例会にて調印式が行われ、韓国より来日のメンバー、サンガ師とパンニャ・メッタ・サンガの面々を歓迎して下さいました。
 その後サンガ師がインドで行っている「自立のサポートを目指した支援」についての講演があり、茨木東・馬山南都両ロータリークラブの皆様に現状をご理解頂きました。
 教室は、現在の校舎2階に増築、完成は来年の2月7日を予定しています。これにより、さらに200名近い児童を受け入れることが可能となり、大変に感謝しております。

写真左は調印式、左端より茨木東ロータリークラブ会長の城谷星氏、韓国馬山南都ロータリークラブの權五辰氏、サンガ師。写真右は、調印式終了後。
2004年10月7日(木)  No.33

人道援助宗教NGOネットワークからの支援
 岡山県を中心に、世界各地で人道援助に取り組む宗教NGO、宗教者・信仰者を結ぶRNN人道援助宗教NGOネットワークより、禅定林大本堂建立に多大なるご支援をいただきました。

西村美智雄RNN委員長より支援金を受けるサンガ住職
2004年10月6日(水)  No.30

原爆記念公園
 広島の原爆記念公園に行きました。
 次の予定があるにもかかわらず、原爆の悲惨さに現場を動くことができず、世界の平和を改めて感じたとの感想でした。
 原爆を有するインドの政治に生かしてもらえればとてもうれしいです。

ビノード・カンデカルさん、ディパンカル・バガトさん、
鮫島さんと
2004年10月6日(水)  No.29

「インド禅定林感謝の集い」 開催


 あいにくの雨模様にもかかわらず、約180名の方々が京都山科のブライトンシティホテルで開催の「インド禅定林感謝の集い」へお運び下さいました。
 昨年10月にインド禅定林が正式に天台宗の海外寺院となり、今年6月にサンガ師が初代住職として辞令を拝命致しました。さらに5月の正力松太郎賞受賞、PMホームページ刷新などのご報告をさせて頂きました。
  
 また、これまで永年に亘り物心両面で支え続けて下さった団体の皆様へ、パンニャ・メッタ・サンガから感謝状を贈呈させて頂きました。

 山科・毘沙門堂門跡の森川宏映御門主様のご祝辞をはじめとして、多くの方々から力強い励ましのお言葉を頂き、サンガ住職を応援して勇気づけて下さいました。本当にありがとうございました。
2004年10月5日(火)  No.32

インドからの来訪者
 10月5日の「禅定林感謝の集い」に参加するために、パンニャ・メッタ・サンガを代表して、智恵山のあるインド・ドンガルガル市から選出されているチャッティスガル州 州会議員ビノード・カンデカルさんと、パンニャ・メッタ・サンガ・ナグプール支部理事のディパンカル・バガトさんが来日。14日まで日本に滞在されます。

 「今日は何を食べましたか?」という質問に対して、インドでは「ジャガイモ、ナス、キャベツです」と答え、煮たのか焼いたのか、どのような味付けだったかを答える必要がありません。
 具が変わっても朝・昼・晩味はカレーです。カンデカルさんとバガトさんは、日本に来てもカレーを食べています。日本の辛さでは足りないので、インドから持参したペースト状の唐辛子と、日本で買ってもらった一味をたっぷりかけて食べています。
2004年10月4日(月)  No.28

会報編集作業進む?
 パンニャ・メッタ発行の会報「MAHASAMADHI禅定林」、今年は10月20日の作文コンテストの表彰式とあわせて、出版会をします。
 もうそろそろ印刷屋さんにまわさないといけないのですが、そこはインドの人の特性、何事も「背水の陣」にならないと本腰があがりません。
 今回は、走りまわるパンニャ・メッタ本部を察知した さきたま小学校ヒンディ語のアムラパリ・ドングレ先生が、ヒンディ語の添削ボランティアを買って出て、9時から学校の始まる12時までと、夕方授業が終わった後の5時から7時まで、2日間、本部事務所に来て手伝ってくださいました。
 コンピュータを使えないアムラパリ先生が、事務員のシッダルタさんに指示を出し、シッダルタさんがコンピュータを打つのですが、「その言い回しでは文意を損なう」などとやり直しを命じる編集実働部隊のミリンダさん。
 3人に任せたものの、「時間までに間に合わせて」と祈るばかりでした。
2004年10月2日(土)  No.31

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