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2005年1月の日記

本堂に期待
 例年2月8日に禅定林及びパンニャ・メッタ子供の家の例祭を行うにあたり、10日前くらいには、地元関係者、村長さん等有職者と打ち合わせをします。
 本年も1月16日にパンニャ・メッタ子供の家の講堂で打ち合わせを行いました。
 例年ですと用意した100脚ほどの椅子が少し余るくらいなのですが、禅定林大本堂の地鎮祭ということもあって、今年は200脚の椅子を準備しました。
 しかし、それでも足らず外に人があふれかえりました。この状況を見ても地元の人達の大本堂に寄せる期待がうかがい知れます。
2005年1月18日(火)  No.78

パンニャ・メッタ図書館
 「天台宗一隅を照らす運動総本部」の支援によるパンニャ・メッタ図書館の工事がまもなく始まろうとしています。
 工事開始に先駆け、2月8日午前8時から地鎮式を行います。翌日からでも工事が始められるように工事関係者が動き出しました。
2005年1月18日(火)  No.77

子ども達の絵
 パンニャ・メッタ子供の家の壁にかけられた子供達自身の図画です。

 どこでも子供は同じだと思いますが、人が来ると、自分の描いた絵の前に連れて行き、見て見てと自慢げです。うまい下手は見る人によって判断が違うでしょうが、色使いが日本の子供達とは違いとてもカラフルです。
2005年1月18日(火)  No.76

定期健診
 月に一度、第4日曜日午後の3時間ほど、ワインガンガ川対岸の3キロほど離れたポーニ市本町から、レプセ先生が助手を連れて子供の家へ定期健診に来ます。
 体重を量ったり問診がほとんどですが、体調が優れない子供は治療・投薬をしてもらいます。
 この活動は、許可を得ているすべての子供の家に州が義務付けています。

 昨年12月26日も午後1時から4時くらいまで先生が来ていました。
 写真に写っているバウナが足に怪我をし、先生が来てすぐに注射をしましたが熱を出してしまい、帰る頃に再び破傷風の検査をしてもらいました。
2005年1月14日(金)  No.75

おもちゃは砂・セメントに職人さんが捨てたタバコの空き箱
 パンニャ・メッタ学園体育館工事に従事している人の子供です。ナグプールから数百キロ離れた田舎から出稼ぎに来て、仕事を見つけては現場に竹で編むかピニールを使うかで簡単な家を作り生活しています。
 朝10時から夕方5時まで両親は肉体労働。急いでいるため、夜通し仕事をしていることも有ります。目の前に両親の姿は有りますがかまってはくれません。
 本来この様な状況の子供達にパンニャ・メッタ学園へ来て欲しいのですが、工事が終わるとまた居場所を移してしまいます。

2005年1月14日(金)  No.74

滑り台
 パンニャ・メッタ学園は2部制です。
午前7時半から11時半までは幼稚園。
12時半から5時まで小学校。
早めにきた小学生がよく滑り台やブランコで遊んでいます。
2005年1月14日(金)  No.73

子供の家のかまど
 日本でも昔火吹き竹が有りましたが、今はすっかり姿を消してしまいました。インドでは全国どこでも、まだまだ薪で御飯を炊きますので、火吹き竹ならぬ火吹き鉄パイプが欠かせません。
 子供の家でも薪で御飯を炊いています。乾いた木であると良いのですが、少しでも湿っているとなかなか火が着かず、着いたかと思うとくすぶりを繰り返し、火吹き鉄パイプで風を送りながら煙と格闘しなければなりません。

2005年1月13日(木)  No.72

子供の家の、唐辛子!
 子供の家では、スタッフと子供あわせて一食約50人分の食事を作ります。入っている具が替わるだけで、朝食から昼・晩・軽食まで味はカレーです。
 これは1食分のおかずに使用する唐辛子です。後ろにトマトが写っていますが、日本のトマトより一回り小ぶりです。
 その大きさと唐辛子の山の大きさを見比べて下さい。目測で0.5kgくらいはあると思います。
 よって子供の家で三食に使用している唐辛子は1.5kg。子供一人当たり30g。
30倍カレーくらいでは何ともなりません。
2005年1月11日(火)  No.71

子供の家の包丁
 珍しいので、日本でもテレビ等で紹介されていますが、インドの包丁さばき、お見事としか言いようがありません。
 包丁は日本のようにまっすぐではなく、鎌のように曲がっています。柄の方を足にはさみ、玉ねぎジャガイモ肉魚、包丁を動かすのではなく切る物を動かします。千切りやみじん切りも日本の包丁と同じように切れます。
 我々がやると血だらけになりますが皆器用に使いこなします。

サラダ用のにんじんを切り終わり大根を切るアルパナ
2005年1月10日(月)  No.69

報恩
 父母恩寺(ナグプールのPMS本部)の隣に住む長男三姉妹の末っ子のルチです。出入りの頻繁さを考えると父母恩寺か実家かどちらが家なのか判らないくらいです。
 1月7日はルチの9歳の誕生日で、大騒ぎでした。
 休みなどに三姉妹を子供の家へ2〜3日連れて行くのですが、普段1時間や2時間の遅れを何とも思っていない彼女達のお母さんが、帰って来る約束の時間を少しでも過ぎると気が気でないらしく、x々父母恩寺へ安否を確かめにきます。
 ルチが行っている先はお母さんもよく知っている場所、食事を含めて何もかも同じ。でも親としては気が気でないようです。

 しかしよく考えると、私はこの歳で親から離れて一人日本へ行きました。
 私の両親が私を預けた先は、堀澤祖門先生を知っている以外、何を食べ何を着てどのような場所に住んでいるのか知る由もありません。
 堀澤先生を信頼したのと、インドの社会改革によほどの想いがなければできることではありません。
 日本でもそうでしょうが、インドでも子供は目に入れても痛くない、ましてや一人っ子とあらば。
 そのような個人的な愛情よりインドの社会を考え、私を日本に出してくれた両親の御恩に報いるような生き方をしなければ、と思いかえされる日でした。 合掌
                                       サンガ
2005年1月7日(金)  No.68

津波支援・スリランカの子供達へ
 スリランカがこの度の記録的津波によって受けた被害は驚くばかりの状態です。当協会としてもインドもしくは近辺諸国に何らかの支援をしたいと考えているのですが、南インドチェンナイの状態もスリランカの状態も、今我々のような力のない組織が赴いて何かができる状態には無く、国連や国を挙げての支援を必要としています。
 この様な中で、数日前からアナンダ大僧正という方の生誕100年祭がナグプールで行われました。コロンボ郊外にあるケラニヤ仏教大学学長クサルダッマ大僧正がお話の中で「皆さんもご存知のように、今私はスリランカを離れる気にはなれないのですが、アナンダ大僧正との永年にわたる深い御縁を考えれば、100年祭に出席しないわけにはいかず、インドに来ました」と言われたように、その法要に出席する為、かなり無理を押してインドに来られました。
 学長とは数年前にパンニャ・メッタ・サンガがスリランカにおいて井戸掘りや、幼稚園運営の福祉活動を行ったとき仲立ちして頂いたご縁もあり、今回のお見舞いを兼ねて宿泊地に赴くと、インドと同じようにスリランカも元々混沌とした状況にあり、新聞やテレビで報じられている程度の情報しか行政も持っておらず、復興活動が思うようには進まない。その中で自分は、1万人以上の子供達が両親を失い路頭に迷っている状況を目の当たりにして、何とか彼らの手助けをしたいと考えたが、力不足のため全員を受け入れることは叶わず、50人ピックアップしてお世話をすることにした。孤児院を作るのではなく、子供たちを預かってくれる親類を探し出しそこに預け、月々の扶養費を預かってくれる家族に支払うとの事。
 この話しを聞いて、親のいない子供達に誰かが手を差し伸べなければ、彼らの将来がどうなるか良く把握している私としても見過ごすことができず、僅かですが金一封を支援させて頂きました。親を失った子供が寂しい思いをせず、誰かの慈悲深いお世話の元、健やかに成長することを願いました。
2005年1月5日(水)  No.67

PM学園教室増築工事(1月4日現在)
 PM会報8号で紹介したドレさんをはじめ、工事関係者の半月以上にわたる昼夜を問わない作業のお陰で順調に進み、2月7日の落成に向かって、工事のゴールも見えてきました。
2005年1月4日(火)  No.66

体育館工事進捗状況(1月4日現在)
 PM学園教室増築工事と平行して、30人以上が日夜工事を進めています。体育館の方もあと僅かです。やればできるインドの工事事情です。2、3日ぶりに工事現場へ行き、工事の進み方に顔はほころぶは、労いのサモサ(カレー味の揚げ餃子)とチャイ(ロイヤルミルクティ)をご馳走するは、願わくばほころんだ顔を見られてませんようにと思います。見られていたら、皆アグラをかきかねませんので。。(手を抜きかねません)
2005年1月4日(火)  No.65

智恵山大仏様の新年
 ドンガルガル・プラジュニャギリ(智恵山)山上大仏様の2年前に塗ったペンキが剥がれてきたので塗り直しです。スタッフが事実を明かすまで、参拝に来る人がこの大仏様が何でできているかを見抜くことはほとんどありません。有る人は、銅と言い有る人は錫。色を見ていやこれは金でできていると言う人がいれば必ず誰かが、5年以上泥棒が金を見逃すはずがないと切り返します。それぞれ思うままの答えを言いますがコンクリート製と言う人は無く、教えるとたいていの人がかなり驚きます。しかし紛れも無くこの大仏様は鉄筋コンクリートでできており、金色のペンキを塗っています。一般の環境ですと5年以上は持つらしいのですが、寒暖の差が大きく、特に山上で雨風をまともに受ける大仏様は、1年から2年位しか維持できません。現在2年前に塗ったペンキが少しずつ剥がれだしています。2月6日の法要時に10万人以上の参拝者が来ますが、このままでは見るも無残な状態になりそうなのでペンキを塗り始めました。1月中に完成予定です。それにしても地上から20メートルの高さで仕事をするのですが、細い竹を荒紐で止めただけの足場。今まで数回ペンキ塗りをしましたが、事故が起こっていないのは大仏様の御加護というしかありません。仕事をしている人を見ていると、人間の先祖はサルだったを実感できる仕事ぶり、ひょいひょいと竹から竹へと乗り移ります。
2005年1月3日(月)  No.63

智恵山にブルドーザー
 パンニャ・メッタ・サンガの十数年にわたる智恵山での活動のほとんどは、機械を使用することなく人海戦術で行ってきました。しかし行政が絡んできたら大掛かりな重機も絡んで来ました。

 10月に日本を訪れたドンガルガルのカンデカル州議員が、州が智恵山上下の広場と道路工事のために予算は組んだものの、なかなかおりてこないので業を煮やし、請負が決まっていた業者に、お金がおりて来るのにもうしばらく時間がかかるがそれまで自分の資金で工事をして欲しいと頼み、日が良いので1月1日から工事が始まりました。始まったとたん大きなブルドーザーが来て工事を始めました。日本でたくさんの人達にお世話になり、2月6日の例祭に来て下さる日本の方々に少しでも不便をかけまいと急かしたようです。
2005年1月1日(土)  No.64

謹賀新年
2005年 明けましておめでとうございます。
本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます。
2005年1月1日(土)  No.60

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