◆パンニャ会報19号(2014/7/1)発行 1(1-4頁/PDF形式) 2(5-8頁/PDF形式)


パンニャ・メッタ協会が年2回発行している会報のメイン記事などを中心に掲載いたします。

 共生No.10

 人間だけが幸せであればそれが国際平和だとの想いから、人間は自分も地球上の大きな砂絵の一粒の砂であることを忘れ、好物を食べるためなら、お膳にのった食事に見向きもせず、財布を持ってレストランへ行き、私の命を保つために犠牲にならざるを得なかったものの命の尊さを忘れ、感謝の念をおきざりにしてきました。また、家を建てる時には、不必要な贅沢のために、林や森を思う存分切り倒し、十分使えるはずの衣類を昨シーズンのファッションだと捨ててきました。平和を願う気持ちとは反比例して、私たち人間が森羅万象にかけている迷惑はとどまるところを知りません。方々で国際大会を開き決議書を提出、また行進をして環境改善を訴えている我々の日常生活を省みた場合、決議書や行進は人様に訴えるための行為であって、自身に関わるものではないと疑わざるを得ない日常生活です。次世代の子供たちにも、私たちは自分が歩んだ間違った轍を歩ますのでしょうか。今後、我々を含め次世代の子供たちが実行しなければいけない共生は人間の幸せが最後、その前に森羅万象の幸せ。パンニャ・メッタ協会は子供たちに、先ず身近なところから森羅万象に対する感謝の気持ちを持ってもらおうと、毎年パンニャ・メッタ学園及び子供の家、禅定林で植樹をしています。実際に自分で苗木を握る事により、またそれを植える事によって、僅か1本の苗木であっても、そこから森羅万象に対する慈しみの気持ちが芽生えます。私たちの歩み全般が、森羅万象に対して慈悲深く感謝のこもったものになってこそ初めて国際平和が訪れるのではないでしょうか。
サンガラトナ・マナケ


 共生No.9

 3月の終わり頃、過ごしやすい時期が終了し、これから最高47度を越える夏に突入しようとする時期に、ナグプール、パンニャ・メッタ協会本部のシャワー室で、十数匹の蟻の行列を発見しました。夏の始まりとは言え40度を越える日々、我々も扇子や扇風機を使用しだすこの時期、蟻も家の中で一番涼しいところを探し当てようとしているのでしょう。蟻の行列、蚊やハエ、蜂等の集団、インドでの我々の生活に動物や蟻、ハエはつきもの。数十匹の蟻くらいで驚いていては3日とインドには滞在できません。いつものように見過ごして生活をしていたのですが、5, 6日経過したある日。起床後、シャワー室と一緒になっているトイレに入ろうとしてドアを開けると、何百匹もの蟻の大群がそこに。これだけの数を目の当たりにすると、さすがの私も驚きを隠す事ができません。想いかえすと、数十匹を発見した時、蟻たちは涼しいところを探していたのではなく、卵を産むのに適した場所を探していたのです。彼らが産卵場所に選んだのは、シャワー室の入り口、戸の柱と壁の間のセメントに少し空間が生じている穴でした。そうして、2度目に私が発見した時は、生まれたばかりの子孫を従え、親兄弟ともども産卵場所を後にしようとする時でした。この行列を目の当たりにした時、私の中に真っ先に芽生えた感情は、速やかに環境の良い次なる生活場所を見つけ、親兄弟仲良く暮らして欲しいと言う祈りではなく、彼らをどうしたら私の生活空間から立ち退かせ、私に都合の良い生活環境を取り戻すかということでした。そうして考え出した方法が、薬を使用し一斉駆除、一族郎党根立切りするものでした。もうすぐ日本に行くからホームセンターで売っている蟻駆除剤を買って来てまけば、私の生活空間には2度と現れないだろうし、私にとって環境の良い生活空間を取り戻せるだろうという事でした。
 洗面が終わり、御内仏になっている3階に上がり、止観・勤行をしている時に頭の中をめぐっていたのは蟻の事ばかりでした。蟻の存在そのものではなく、彼らの存在に対して自身の中に生じた感情、錦の旗とばかりに「共生」を人さまに唱えている人間が、いざ自分の日常生活となると話は一変します。共生どころか自分に都合の良い環境を作り出すためなら、自身の力で解決できない問題は科学薬品、道具等を利用してでも他の生命の存在は根本から絶ってしまっても良いという考えでした。言うは易く行なうは難し。言う事とやることが違う典型的な例です。
 1991年パンニャ・メッタ子どもの家を皮切りに、教育、医療、被災地支援等様々な社会福祉活動を展開してきて、全ての活動が自身の布施行であるとの認識でおこなっていますが、実際にそうであるかを省みる事があります。伝教大師最澄様が比叡山に登られてまもなく、自身の日常を戒めるために「願文(がんもん)」を作成され、未曾有因縁経に曰くとして、「施すものは天に生まれ、受くるものは獄に入る」と述べられていました。しかし、知ってか知らずか、我々の活動はこの考えに反し、与える一方、つまり地獄に堕ちる人を生み出す、もしくは堕とすための活動ではなかったかと。共生をとなえながらも、実際には、地球も宇宙も私に与えられたものであるから、私に都合の良い生活環境を生み出すためなら山川草木、生きとし生ける一切衆生の命を奪うことを厭わず、相手が天国に生まれられる活動であるか、地獄に堕とす活動なのか省みることなく自身の気持ちを満足させ、心をくすぶる私利私欲の活動を繰り返しているように思います。
 今後、我々は世界平和を講じる時、私個人、もしくは人間にとっての環境は二の次に考え、長年私達人間だけの住みよい環境を作るために犠牲にしてきた山川草木、生きとし生けるものにとっての住みよい環境を作り出すことを考えるべきであり、自身の心をくすぶる私利私欲の活動ではなく、現状は、人の手助けを必要としているが、手助けを受ける中でいつかかならずや、人に手を差し伸べられる人に、つまり天国に生まれる人間を育てるような活動でなければいけないと考えています。それこそが、手を差し伸べている人、そうして差し伸べられている人の共生では無いでしょうか。
サンガラトナ・マナケ

写真:子どもの家での料理もみんなで助け合ってしています


 PM会報ご購入のお願いNo.9

 パンニャ・メッタ協会では、PM活動やインドの近況などをサポーターの皆様のみならず、広く多くの方々に知って頂けることを願い、第6号より会報購入のお願いをさせて頂いております。
 会報購入によるご支援は発行経費の一助となり、また新しく会報を見て下さった方からのご支援は、更なる輪の広がりとなります。PM会報は年2回発行ですが、単発で行事の際に配布して下さったり、1口を継続的にご購入下さったりと様々です。

 会報は1部100円で、20部を一口としております。送料は事務局が負担致します。1口から何口でも、単発・継続などお伺いさせて頂きます。ひとりでも多くの方に届きますよう、会報のご購入をお願い申し上げます。
お問い合せ等は、メール・電話・ファックスで承ります。
 9号につきましては、6月中旬の発行を予定しております。早めにご購入をお知らせ下さいますと幸いでございます。

 ボランティアは自立のためNO.8

 最近のインドの調査によりますと、人口の26パーセントが極端な低所得者であり、世界銀行が生活するのに最低1,410ルピー必要というのに対し、彼らの1ヶ月の収入は都市部で454ルピー、田舎になると327ルピー。また子供のうち36パーセントが栄養失調とのことです。コンピューター、ITで一躍経済大国の仲間入りをしようとしている国とは思えない数字です。
 反対に、最近読んだヒンディー語の雑誌に、自分は物書きであるために生活の全てをエアコンの中でしており、路上生活者が寒さのために死亡したとの記事を目にした時に寒さを知り、熱波で人が死亡したとの記事を読んで暑さを知り、テレビで洪水の映像を見て雨期を知りますと書いてありました。
 我々は個人的に、もしくは団体、もしくは国をあげて、永年恵まれない人たちを助けようと様々な活動を展開してきました。時には食糧支援、時には寝具支援を行ってきましたが、上記の数字が示す通り国際情勢は良くなるどころか、国家間もしくは国の中での経済格差は広がる一方。富めるものは益々富み、貧者はどんどん貧しくなっています。
 日本で、我々は衣食住すべてにわたって物があふれかえっている日々を送っていますので、全世界が同じ生活を送っているのではとの錯覚を持っていますが、地球上では多くの国の人たちが、食事を得ることができなかったために尊い命を失い、暖をとるすべが無いために凍え死んだり、我々自身が寒い地域の住人ですので暖をとることの必要性を実感できても、50度近くになった時に直射日光や熱風から命を護るための壁や屋根が無い苦しさは理解できません。
 また、蛇口をひねれば水が出てくる日常生活とは裏腹に、幼い子供が何キロも離れたところから水を汲んでこないと日常用水にも困る、保育園に行って遊び、帰宅しては親に甘えたい4、5歳の幼児がレンガ工場や道路工事、畑仕事へ大人同様に働きに行っています。
 パンニャ・メッタ子供の家で生活をしている子供達も、来園前はこれに準じた日々を送っていました。永年支援を続けているにもかかわらず現状は一向に改善されません。
 このような現状を目の当たりにし、我々は支援方法を顧みた時、今後どのような支援をすれば良いのか岐路に立たされていると思います。
 私は専門家を否定する人間ではありません、しかし専門的な図式・方程式・数式をかかげ、自身の日常生活から、隣人関係、社会関係、国際関係、支援にいたるまで、生身の人間としての想い、人間としての感情・感覚を置き去りにして解決方法を見いだそうとする風潮が見受けられる事を悲しく思っています。
 我々は当協会の名前にもなっているパンニャ・メッタ運動を展開しようとしています。パンニャとは「智恵」、メッタとは「慈悲」です。智恵とは、人間としての理を知り、日常生活に反映することができることを言い、慈悲とは、苦しみ悩んでいる人を心底理解し、その苦悩に同感し、苦悩を癒そうとする働き。同じ目線で人と人との触れ合いを重んずる行為です。自分本位もしくは見返りを期待しての行為ではなく、智恵と慈悲の心をもって活動をすることができれば、現在国際社会が抱えている問題の多くが解決すると考えています。
 ある必要な一時期、誰かの支援を受ける必要があったとしても、それが恒久的な行為になると、受け入れ側が当たり前に感じるようになり、自助力が減退していき、益々支援が必要な社会が実現します。支援を受けている人たちの自助力が増す支援でなければいけないと思います。そのために支援する側も、自分の思い込みだけでなく相手の立場に立ち、また見返りを期待しない活動をしなければ支援の意味が半減すると思います。
 今後の支援活動の方法はいつまでも頼られる内容ではなく、日々自助力が増し、近未来、彼ら自身の夢と希望がかなえられ、支援が不必要と考えるようになるだけでなく、他の人のことを考え、支援する側の人間になるような支援をしていくことだと痛感しています。
 仏教には「卒啄同時そったくどうじ」という言葉があります。「卒」は鶏の卵がかえる時に殻の中で雛がつつく音。「啄」は母鶏が殻をかみ破ること。母鶏と雛のタイミングが合わないと健全な子供が孵化しないそうです。
 このように、ボランティア活動もする側とされる側のバランスがとれていなければ健全なボランティアとはいえないと思います。
サンガラトナ・マナケ

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