◆パンニャ会報19号(2014/7/1)発行 1(1-4頁/PDF形式) 2(5-8頁/PDF形式)


パンニャ・メッタ協会が年2回発行している会報のメイン記事などを中心に掲載いたします。

 ボランティア=布施NO.7

 数年前、当時天台宗一隅を照らす運動総本部獅子王圓泰部長が視察団団長として団員数名と共に禅定林、パンニャ・メッタ子供の家を訪問され、帰国されてから子供の家でご自身が体験された話をして下さいました。
 真夏のイメージしか無いインドの1〜2月は、イメージとは裏腹に大変寒く、特に朝晩は暖房が欲しいと思うような寒さです。また子供の家では電気はあっても停電・節電の時間が多いため水不足にも悩まされます。これが日常生活である我々にはまたかと思うような内容ですが、日本から来られる方々には大変不便な思いをさせてしまいます。
 しかし獅子王部長がされた話は、子供の家は不便で大変だったという内容ではなく、子供の家で昼食のデザートに出されたミカンを家の子供にあげたところ、食い盛り、独り占めしたい年頃なのに彼はそのミカンを独り占めすることなく別の子供達にも分け共に食べていた、その光景が自然で普段から分け合い共生しているのだと胸がいっぱいになり、自分の幼少の頃に、日本でも随所で見受けられる光景であったが現在の日本社会は与えるどころか奪うためなら親は子の、子は親の命すら省みない風潮があり一人でも多くの日本人に子供の家を見て欲しいと話しておられました。
 インドでは、僧侶の私はよく篤信者から施食を受けることがあります。午前10時ごろ施主宅に行き小一時間お経をあげ、小一時間法話をし自分が応供(おうぐ)であるかどうかを問いながら食事をいただきます。応供とは供養を受けるのに値するかどうかということです。仏教では法施(ほうせ:仏法を説きしめす)のできる僧だけが供養を受けるに値し、法施のできない僧は供養を受けてはいけないとの戒律があります。禅定林が在るルヤード村はインドの中でもかなりの田舎です。よんでくれる家庭の経済状態が貧窮しているのは彼らの乾いた皮膚、着ている物、家屋どれ一つをみてもすぐにわかります。この様な経済状況下の家族が施食をしようと思えば、家族全員が10日ほど3食を2食にするか、数日間食事抜きの日々を送らないことには叶いません。日常生活の中に布施が生きているあらわれだと思います。
 我々も国際貢献を願い食べ物、古着、寝具、文房具、薬等を送るボランティア活動をし、その行為によって多くの人達が空腹を癒し雨風をしのぎ健やかな日々が送ることができると喜んでいることは言うまでも無いのですが、おくる方の状況を考えると施食のために断食をしたり食を抜いている人たちとは異なり、多くの場合自分にとって不要になり置き場に困っているもの、日本国内でなら処分するのにお金がかかるもの、親類隣近所にあげるのを躊躇するものを差し出しているのではないでしょうか。自分が必要としているものを差し出す、必要とあらば自分の生活をけずってでも差し出す、これが慈悲です。布施とはあげる人といただく人の気持ちが一体となった行為です。
サンガラトナ マナケ
<写真>智恵山上で、空間を共有し力強く共生する樹木と岩

 ゴミ箱いらず2003/12/8 NO.6

 日本語で僧侶が身に着けている衣を「袈裟」といいますが、これは色を表す「カシャ」というインド古代語に由来します。赤・黄色系統、現在インド、ビルマ、タイ等上座部仏教の僧侶が着ている衣のあの色です。何時ごろからこのような色の衣を身につけるようになったかは知りませんが、釈尊当時の僧侶が身につけていたのは糞掃衣(ふんぞうえ)と言われる衣です。仏教辞書によると、糞や塵のごとく捨てられたぼろ布を洗って作った法衣と有ります。お葬式等で不要になり、捨てられた物を拾って縫い合わせて衣にしていました。もともとぼろ布であり、なおかつ毎日使用しているわけですからそう長くは着られません。しかし着られなくなったからといって捨てるわけではありません。着られなくなったら小さく切って雑巾として使用しました。そうか、雑巾として使えなくなったら捨てるのかと想像した人は勘ちがいです。まだ使い道があります。昔も今もインドでは土壁の家が主流です。インドに来た人はああ、あれかと思い出すでしょうし、来てない人は是非に一度インドに来て気をつけて壁を見てください。もちろん寺院も土壁でした。ただ一般家屋と違うのは壁土に法衣として使用不可能になった生地が混ぜられていることでした。
 この2枚の写真を見て私はこの話を思い出しました。お爺さんは8月末に私のところに弟子入りしたいと来たのですが、PMS事務所の近くに住んでおり満70歳です。若いときにはナグプール近郊にある英国資本のブルックボンド紅茶会社に勤めており、数年前まではインド古来の武具を使用した居合ぬきを青少年に教える師範でした。お爺さんの眼鏡の右目部分を見てください。フレームとガラスがガムテープでくっ付けられています。お爺さんの経歴でお分かりのように退職した今日も眼鏡が買えないほどお金に困っているわけではないと思います。長生きをして欲しいと思うのですが、多分死ぬまでこの眼鏡を使い、棺おけに入れてもらうことでしょう。
[] もう1枚の写真は、3年くらい前に私が日本からいただいた古着をあげたシャツです。この青年は禅定林僧坊の建設工事にたずさわっており、3年後も作業着ですが着ています。多分この服もいつかは雑巾になり土壁に混ぜられるでしょう。眼鏡も、この服もここまで使ってもらうと生まれてきた甲斐があったと言うものです。彼らの日常生活にゴミ箱は不要です。漢字を見ると、美を護ることが「護美」ですが、現在は人間の贅沢の犠牲がゴミのような気がします。我々の生活を振り返ってみると、十二分に使用可能な物を捨てるのに四苦八苦しています。今後は捨てる方法を考えるのではなく、ゴミ箱不要の生き方を考えねばいけないのではないかと思います。
サンガラトナ・マナケ

 ボランティア=布施2003/12/8 NO.6

 パンニャ・メッタ協会は、教育・医療・生活支援・被災地の緊急支援等の活動をしています。一般的には社会福祉活動をしている協会だと捉えられているようですし、当事者である我々も簡単に理解してもらうための方便として福祉活動をしていると説明するのですが、我々の潜在意識の中にはボランティア活動や福祉活動をしている意識は全くありません。ではあなた達は何をしているのですかと問われると、「布施行」をさせていただいています。
 仏教では六波羅蜜をとても大事に考えています。波羅蜜とは理想世界にたどり着くための方法。それが布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智恵の6つあるから六波羅蜜です。また、この場合の行とは難行苦行を指すのではなく六波羅蜜を実践することを指しています。
 御覧の様に理想世界に至るための実践方法の第1番目が布施をすることです。
布施をするということは、自分の欲しいものが何であるか、自分がやりたい事は何であるかを考えるのではなく、相手が何を求めているのか、その求めに対して私は何ができるのかを考え行動することです。
 1990年末に協会としてインドの恵まれない子供たちのために何かできないだろうか、その方法のひとつとして孤児院をやろうかとパンニヤ・メッタ協会の関係者と模索していました。密談ではないにしろ、関係者内々の談議がアツと言う間に禅定林で孤児院をするらしいぞと方々に広まり、次ぎから次にそれまでの扶養者が子供を預かって欲しいと訪ねて来ました。
 我々にしてみると、子供の家をやろうかと、心の準備ができたに過ぎず、それに対する物理的・経済的・人的準備は何もできていませんでした。当時禅定林では私を含む6人が暮らしていたのですが、建物も経済基盤も6人の生活が精一杯で、孤児院となると育ち盛り・食べ盛りの子供を預かることになりそのような余裕はどこにもありませんでした。そんなことは我関せず、100人以上の扶養者がやってきました。
 子供の人生に関わる問題、簡単に「はい引き受けます」とは言えず、準備が整えば必ず連絡するからと帰ってもらったのですが、その中に、我々が有している居住空間や食糧、経済的基盤を考え引き受けることを拒んだなら、たちまちその子供たちは日常生活に困り果て、ストリートチルドレンになるしかないだろうという子供が7人いました。これが現在35人の子供がいる「パンニヤ・メッタ子供の家」の始まりです。
 この時我々が自分達の現状を省みず子供たちの現状に目を向け、受け入れることができたのは、我々がこの活動を「布施行」と考えたからです。他に行っている活動も、それぞれの地域の人たちが必要と思っている事に対して、でき得る限りのお手伝いをしているに過ぎません。よって活動内容も様々です。我々にはこれらの活動を通して名誉もいらなければ富も権力も必要ありません。日本では宗教活動とこの様な活動を同じものだと考える風潮がないように思います。しかし、ここで幾つかの例をあげましたように宗教の中の活動と捉えた方がより一層有意義な活動展開が可能だと思います。
合掌
<写真>地球に平和が訪れることの願いをこめて、2003年9月11日の平和行進

 戦争の連鎖反応2003/06/29 NO.5

 仮想世界(バーチャル)と現実世界を混同し平和ボケで生きている我々にとって、実際に起こっている戦争であっても、それは画面の中の世界であって自分の身にふりかかってくるものであるとは考えておらず、リセットボタンさえ押せば失われた尊い命も、無残に破壊された地球も蘇ると思い込んでいる。しかし、このように悠長な考え方で日々を送っているのはごく僅かな国であって、次は自国かと怯えながら生活している人達が大半である。
 今回のイラク戦争(戦いをしているのだから敵味方、1つの国があるはずなのに何故一方の国名だけを挙げて戦争名にしているのか、私には理解できない)を私はずっとインドで見てきた。インドの中でもへんぴな所に位置するルヤード村で、国際社会の情報を得る事は至極困難なことである。一昨年のツインタワー襲撃の時も、禅定林で彿跡庭園工事をしていた。
 その日も夜中に懐中電灯の僅かな明かりで関係者と相談をしていた時、日本の知人から電話でタワー襲撃の事実を知ったが、お寺にはテレビもラジオもなく、翌朝10時近くになってようやく来た朝刊を見て事件の重大さを確認した次第であった。
 今回の戦争も、そろそろ始まるらしい、いやもう始まったらしいというくらいの情報しかなく、またしても日本から、開戦したので今回の訪印を見合わせたいとの電話が数本あり、やっと現状を把握することができた。
 このように情報がなくとも、一度現実を知ると後の行動はすばやい。すぐにガソリンスタンドに走り、車の燃料タンクを一杯にした。当事国が当事国だけに、何時石油の輸入が打ち切られるか判らない。巷の噂によるとインドは数週間分の燃料しか保有しておらず、戦争に対するスタンスも当事両国のどちらの意に従うことなく、自国の考えを持っていた。私だけでなくインド国民の大半が戦争の開始を憂い、いつ自分たちの日常生活が脅かされるかと怯えていたのである。インドで生活する我々にとって、地球の裏側で起こっていようと戦争とは仮想世界のものではなく、現実世界のものである。
 インドで観ていたからなのか、アメリカ・イラク両国の映像が映し出される時、アメリカの人達は自国が戦争の当事者であるにもかかわらず、本当にこの国が戦争をしているのだろうかと疑いたくなるほど、普段どおりの生活を営んでいた。夜になると野球観戦をし、休日にはゴルフと家族団欒の時を過ごしていた。一方イラクは衣食住、全てを奪われ、家族がばらばらに逃げ惑う映像が映し出されていた。同じように戦争の当事者なのに、この違いは何だと目を覆いたくなる場面ばかりだった。
この度の戦争、とらえ方は様々あるようだが宗教戦争ととらえている人も少なくない。
 アメリカ兵が、アメリカにイエスキリストのご加護がありますようにと祈っている姿をテレビで観て、中近東のイスラム教のある宗派の代表者が、アッラーのためにイスラム教徒は一致団結しなければならないとの声明を発表。これを受けた信仰深いインドのイスラム教徒たちは、代表者がそう仰っておられるのならと立ち上がった。こうなるともう止まるところを知らない。イラク戦争のためとは言え、アッラーの名の下イスラム教徒が一致団結しているのであれば、将来ヒンドウ教にとっても大きな脅威になるだろうとの懸念から、宗教家はもとより政治家も、ヒンドウ教徒の士気を高め原理化運動を活発にしている。
 世界3大宗教といわれるうちの2つ、キリスト教とイスラム教、そしておよそ地球人口の6分の1を有するヒンドウ教が、原理主義化活動に拍車がかかっている裏には、イラク戦争も一枚絡んでいる事をお伝えしたい。
合掌
<写真>地球の平和を願って禅定林に植えられた白蓮
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